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昔、MINOLTAカメラからα7000が発売になり即のめり込みました。
その後讃岐写真作家の会に入りました。
そこで讃岐の町並と言う写真集を出す事になり縁の深い女木島を担当しました。
訳は郵便局の皆さん始め沢山の人と知り合いだったからです。
女性美として世界一の景観と云われた山頂での見事な花見にも毎春呼ばれました。
その後中條財団主催のあうんの大茶会が女木小学校跡でも行われ、後に徳永邸での茶会でも亭主をさせて頂きました。
また鬼旬さんのパーティーに参加したりしました。
そんな思い出多い女木島ですがさらに 子供の頃遠足のバスで歌った歌に錆びたナイフと言う歌がありましたが これが女木島と繋がるとは想いもしない事でした。
奈良県生まれで現香川大学で学ばれた作詞家 故 萩原四朗氏が高松から女木に遊びに行き、浜辺で作った詞が 歌唱 石原裕次郎で大ヒットとなった錆びたナイフでした。
知る人ぞ知るヒット曲の物語でした。
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